2005年NHK大河ドラマ『義経』に関する事、 ドラマにかかわらず史実について教えて貰える記事でもOK!とにかく「義経」に関する記事を書かれたらトラックバックして下さい! このTBP制作者はこちら http://blog.planting-field.com/
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この時代のトピックス(2)〜北条泰時の善政 [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
鎌倉の名執権というと泰時の名がまずまっさきにあげられますが、これはまだ執権になる前の話です。 泰時の所領は伊豆北条にありましたが、前年不作だったため領内の農民に五十石の出挙(すいこ)米【翌年の秋、利米をつけて返済するもの】を貸し与えてやったそうです。 と. 続きを読む
Date: 2006-05-09 01:25 ID: 2680497
この時代のトピックス(1)〜討幕の宣旨を請う [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
越後の豪族に城長茂という剛のものがいました。平氏方として木曽義仲とまっこうから渡りあったこともある男です。 その長茂が、何を思ったのか建仁元年に上洛し、仙洞御所を囲んで、討幕の宣旨の下賜を迫りました。ですが、後鳥羽上皇が応じるはずがありません。 そのうち. 続きを読む
Date: 2006-05-08 01:11 ID: 2671990
畠山氏の滅亡 [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
畠山氏は武蔵国秩父地方の豪族で、重忠の代に頼朝に従って大いに武功を立てたのは既述の通りです。重忠に対する頼朝の信任はひときわ厚く、死に臨んで頼朝からとくに遺児頼家の行末を託されたほどでした。 北条氏との関係も浅くはなく、重忠の妻は北条時政の娘、つまり政子 続きを読む
Date: 2006-05-07 03:15 ID: 2665081
北条時政の失脚〜先妻の子の反撃 [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
将軍実朝の入浴中を殺害しようとした企てはさすがに、先妻の子の義時や政子の同意を得ることができなかったため失敗に終わります。 もともと義時らは、継母牧ノ方の人もなげな振る舞いに反感を募らせていたようですし、それに平賀朝雅は信濃国佐久郡の土豪の子で、かりに将. 続きを読む
Date: 2006-05-06 02:18 ID: 2658260
北条時政の失脚〜後妻牧ノ方 [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
時政が糟糠の妻である伊東某の娘といつ死別したのかもはっきりしなければ、牧ノ方との再婚の時期もはっきりとわかっていません。牧ノ方の出身もいまひとつ不明で、通説的には平頼盛に仕えて駿河国大岡牧を預けられた下級官史の娘、ということになっているそうです。 それに. 続きを読む
Date: 2006-05-05 03:25 ID: 2651557
頼家の失政と廃位〜景時追放(8) [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
頼朝の死後、景時の威勢が失われたのは、景時の権力が将軍からの直接的な権力委譲に基づくものであって、頼家への代替わりよって根本的な将軍権力の衰退がもたらされたことが、即時に景時の権力の弱化を意味したからでしょう。したがって将軍権力の強化という一点に関しては. 続きを読む
Date: 2006-05-04 03:02 ID: 2644988
頼家の失政と廃位〜景時追放(7) [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
慈円は『愚管抄』(巻第六)で頼家が暗殺された事件に触れた中で、「正治元年ノコロ、・・・・景時国ヲ出テ京ノ方ヘノボリケル道二テウタレニケリ。子苦人ダモナク、鎌倉ノ本体ノ武士カチハラ皆ウセニケリ。コレヲバ頼家ガ不覚二人思ヒタリニケル二、ハタシテ今日カカル事(. 続きを読む
Date: 2006-05-03 00:54 ID: 2637924
頼家の失政と廃位〜景時追放(6) [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
前述の『保暦間記』の記事を見る限り、恐らく頼家から見放された景時が、代わりに源氏の血を引く人物を擁立しようとしたことは事実なようです。そして擁立する以上、何らかの正統性の保証を求める意味で京都朝廷との連絡を持とうとすることは大いに考えられます。 ですが、. 続きを読む
Date: 2006-05-02 05:49 ID: 2631656
頼家の失政と廃位〜景時追放(5) [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
『保暦間記』は、頼朝の時代には景時が讒言をしても頼朝ガ心得て、景時の言を取捨していましたが、頼家は若くて無思慮なため、景時の言をそのまま容れたので被害を受けるものが多く、皆が連判をして、景時を追い出したものである、ところが景時は、その後も源家に心を寄せて. 続きを読む
Date: 2006-04-30 23:56 ID: 2622951
頼家の失政と廃位〜景時追放(4) [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
翌1200年正月20日、頼朝の一周忌があけた直後に、景時が一族をともなって一宮の本拠を密かに脱出したという飛報が届きました。この景時の行動は謀叛を企てて京都へ赴くのだということになって、追討軍が派遣されましたが、その前に駿河国清見関の辺りを通ろうとした景時の一. 続きを読む
Date: 2006-04-30 01:41 ID: 2616659
頼家の失政と廃位〜景時追放(3) [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
そして28日、有力御家人たちが鶴岡の神前で一同で景時に対決することを誓って、中原仲業が自ら作成した訴状を読み上げました。この状に著判を加えた者は66人に達しました。訴状は和田義盛・三浦義村らが大江広元に渡し、頼家に披露するように要請しましたが、広元は頼朝に対. 続きを読む
Date: 2006-04-29 00:19 ID: 2609205
頼家の失政と廃位〜景時追放(2) [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
その後、8月16日の鶴岡八幡宮の恒例神事に際して、景時は和田義盛らと共に宮寺の警固に当たり、9月17日には大江広元と共に、京都大番役を怠らないよう諸国守護に催促を加える件を奉行しているので、この時点まで景時の地位に際立った変化は無かったようです。 ですが、10月. 続きを読む
Date: 2006-04-28 01:05 ID: 2602206
頼家の失政と廃位〜景時追放(1) [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
頼朝の側近押として多方面に活躍していた景時は、頼朝の死によって活動の場を狭められ、果ては政権の中枢から追放されて、頼朝の一周忌明け直後に、孤立無援の形で一族もろとも追滅されてしまいました。頼朝死後、滅亡に至るまで景時の記事を『吾妻鏡』にたどって見てみます. 続きを読む
Date: 2006-04-27 01:24 ID: 2594907
頼家の失政と廃位〜頼家の悲劇(3) [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
一見愚行を繰り返しているように見えた頼家の行動を貫いているのは、将軍に権力を集中させ、御家人連合の長から自立したものとして将軍権力を確立しようとする試みだったと言えるかもしれません。それは東国政権の首長から、さらに全国政権へ展開しようとすれば、東国御家人. 続きを読む
Date: 2006-04-26 01:09 ID: 2587119
頼家の失政と廃位〜頼家の悲劇(2) [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
放蕩・遊興に耽ったという部分を除いて、頼家の行動を理解すれば、要件は2、3の点に絞られるかと思います。 頼家と愚行を共にした側近たちの登用というのは、反対勢力からの見方で、将軍権力に直属する軍事力の養成というのが、頼家の狙いだったのかもしれません。この側近. 続きを読む
Date: 2006-04-25 02:06 ID: 2579550
頼家の失政と廃位〜頼家の悲劇(1) [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
頼家の最後に関して『吾妻鏡』は詳細を伝えていませんし、一幡の殺された時期、もしくは頼家の死のありさまなどについても、必ずしも記録は一致していません。ですが記録や物語類によると、病死ではなく殺されたものだということがほぼ明らかです。『愚管抄』は刺客が頼家を. 続きを読む
Date: 2006-04-23 07:22 ID: 2565480
梶原景時のお墓〔馬込 万福寺〕 [黄昏草日記 から]
先日、またまたフラッと一人でお散歩してきました。
今回は、馬込(まごめ)というところにある万福寺へ。 続きを読む
Date: 2006-04-22 19:53 ID: 2562192
板額〜鎌倉武士をたじろがせた勇婦 [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
越後の城資盛が鎌倉幕府に背いたときの事です。 佐々木盛綱に率いられた幕府の大軍は、ひと揉みに揉みつぶす勢いで、資盛のこもる鳥坂城に攻めかかりました。 この時、強弓を引き絞って、寄せ手を散々苦しめたのが、勇婦板額(はんがく)です。板額は資盛の叔母にあたり、身 続きを読む
Date: 2006-04-22 02:30 ID: 2557778
式子内親王〜薄幸の閏秀歌人 [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
式子内親王(しょくしないしんのう)は後白河法皇の第三皇女にして、以仁王の同腹の妹でもあります。 1161(応保元)年8月、9歳の時、斎院としてはじめて賀茂の祭りに奉仕し、十年近く斎院生活をすごしましたが、1169(嘉応元)年病弱を理由に斎院を退下、以後はもっぱら和. 続きを読む
Date: 2006-04-21 00:48 ID: 2549749
六代御前〜平氏の最後の嫡系 [源氏の歴史<NHK大河ドラマ「義経」をもっと面白く見るために> から]
六代御前は平維盛の嫡子です。維盛はまた重盛の嫡子ですから、六代は正系中の正系といってよいでしょう。ですが、その生涯は平氏嫡系の名に似ても似つかぬものでした。 悲運は寿永の平氏都落ちからはじまります。この時六代は幼かったため一門と行を共にせず、嵯峨野の奥に. 続きを読む
Date: 2006-04-20 01:07 ID: 2542057



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